公衆自殺機

ある国の話をしましょう。
あなたは死を考える時に自由に死ぬ権利や
死ぬための施設があれば便利だと思いませんか。

死んだ遺体を片付ける人や死体の発見者になる人に迷惑がかかります。
また死ぬ事よりも死ぬ際の苦痛や恐怖に耐えられない人も多いでしょう。
そこで数年前に政府が考案したのが公衆自殺機でした。

公衆自殺機は大きな都市に設置されていて、誰でも使用出来ます。
中に入ると鍵がかかり、本当に自殺を希望するかに関して審議がなされます。
勿論プライヴェートなことですので、個人情報は厳守されます。
また、無理矢理放り込まれた人や死にたくなくなった人は
別の出口から退出することが可能です。

こうして本当に自殺を希望する人は
死んだ後残る体の権利を放棄することを条件に、
安らかに死を得ることが出来るようになりました。

政府が報告した来年度の公衆自殺機による予想死者数は
驚く程少ないものとなっています。
かつて年間4万人と言われた自殺者は今年度2500人となり、
ここ数年の年間自殺者は数千人という数にまで激減しました。
そしてかつて自殺を希望していた人達へのアンケートによると
自殺を考える必要のない生活をしている方が多いということです。
公衆自殺機の存在は死を何時でも所与可能のものとしたことで
社会の人々に大きな安心を与える事が出来たのです。

そうしているうちに公衆自殺機の利用を考えたことのある人には
頭蓋内に脳がないことがあることがわかるようになります。
脳とほぼ同量の重さの複雑な機械が組み込まれており、
定期的に政府の施設からの電波を受信して、複数の擬似人格プログラムが
さもその人が人であるかのように動くのだそうです。
そのプログラムは人間を精神的にも肉体的にも健全に使用するという
元来人間が得ようとするものをより確実に得るものでした。
ですので政府はこの事を公式に発表する事を避けました。

かけがえの無い存在という言葉があります。
かつてのその人は欠点はあったけれども、良い人でした。
帰ってきたその人は欠点は前より少なく、矢張り良い人であるならば、
以前のその人よりも良いとは思いませんか。
だとしたら、かつてのその人は誰にも必要ではありません。

そうしているうちにある特定の人々が政府の重要な部分を占めるようになり、
政府にはより優れた存在が必要とされるようになりました。
このことは18世紀の人間機械論と現代科学を応用して人間の可能性を
更に拡大させる義体化、サイボーグ化を政府が推進する引金になりました。
人間は可能であればその可能性をどこまでも向上させなければならないのです。

付け加えておくと公衆自殺機を使った人の身体は政府の研究所で
生命反応を継続維持されたまま様々な実験に利用されています。
彼らは自殺を選択した時に体の所有権を失なっていますので、
既にその身体の所有は政府にあるのです。
彼らは自分が死んだのかどうか、今見ているものが夢なのか
意識があればそんなことを考えているのかもしれませんが、
それらを確認する術はありません。
彼らは血液や体液、器官の生産プラントとして
その体が機能的に動かなくなるまで供給を続けることになります。
このことによって臓器提供や骨髄、献血等に必要とされるものの多くが
賄うことが出来るようになりました。死刑判決を受ける人の中にも
これと同じ処置が取られることは少なくないそうです。

陳腐な話です。

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