こうの史代祭り


『じゃあこうの史代祭りを始めるから、
準備して』と小娘が言った。
何かひとつのことをやろうとすると、
それとは違ったまったく別のことを
やりたくなるもので、ちょうど
こうの史代まんがから遠ざかっていた。
こうの史代という作家と作品が
一致したのは今年になってからで、
初めは読み飛ばしていたのだけど、
どうにも気になって読み込み始めた。
そういう作品に出会えることは
とても素晴らしいことだ。

まだ作家を知らない頃のことだが、
本屋の新刊コーナにえらく目を引く
まんががあり、それは何か物凄く
エネルギィを持っていて、
装丁と表紙絵がオーラを出していた。
一瞬心引かれたのだがそのときは
無い袖は振れないということと
知らない作家の本だという事で保留に。
後からわかることだがこれが
『さんさん録』の1巻である。


ある本屋で『夕凪の街 桜の国』の
立読み冊子を読んだことがある。
あまり精神状態のよくない頃で
小さいことが気になるものだった。
当時はこうの史代キャラのまつげが
どうも受け付けないタイプの画風だった。
こんなに長いまつげは珍しいなと思った。
しかし、そのあとずっと頭に残り続けた。
それで『夕凪の街 桜の国』が
文庫化したときに手に取ったのだろう。
今ではあのまつげが描けたらいいなぁ
というくらい好きになっている。

その本は初め何かひどく読み難いもので
少しづつしか読めなかった。しかし、
読めば読むほど見落としていたものが
見えてきて、成程このまんがには
描いているけどひっそり仕掛けてあって
読み手が気付ずに済ましてしまうところが
ある。判った以上発掘せずに居られない。
読み込んで何を感じるかはわからない。
何かよく判らないけれど何か感じる。
そういうまんがに出会ったときに
それが何か言葉に出来たらよいですが、
出来なくても何か言いたくなるものです。

本当はまんがを小生自身が語るのが
良いのですが、どうにも
こ奴等が出たがるので出して
代わりにしゃべらせます。
基本的にひとつの考えを3人で
シェアしてしゃべる感じになります。
立場や思想の違いによる意見の
食違いなどは基本起こりません。
つまりキャラクターが3人も出る
必要などないのです。
それでも出たがるのだから
もうどうしようもありません。
では前置きはこのくらいにして、『こうの史代祭り』を始めます。
小生が読んだ順番で紹介して行こうと思います。

『夕凪の街 桜の国』左が単行本で右が文庫版。
『夕凪の街』は戦争が終わって10年後の広島で
生き残った女性が『生きていていいのか?』
と考える作品(だと思う)
『桜の国』は被爆2世が半分主役の話。
(残り半分はその父母が主役)
ヒロシマ、原爆、戦争に関わる話の割に
淡々とした静かな物言い。だからこそ、
何かが伝わってくるんじゃないかしら。
単行本は柔らかい感じの発色で
文庫版はそれより鮮やかな発色。
紙質の違いもあるのだろう。


このまんが不思議な感じがするのは
戦争の悲惨さを訴えるわけでも
原爆に対する怒りがあるわけでもなくて、
自分の原爆が落ちた後の世界での行いが
誰かに死ねと思われても仕方のないことで、
しかもそれを自覚している。そしてそれを
忘れることは出来ない。しあわせになることは
死んでいった人たちに申し訳ない、
と思っているところです。
そして自分が生きていてもいいのだ、
しあわせになっても構わないのだという
許しのようなものを大切な人から得ますが・・・。
最期も悔しいだとかもっと生きたいではなくて
『嬉しい?十年経ったけど原爆を落とした人は
わたしを見て「やった!また一人殺せた」
とちゃんと思うてくれとる?』というところが
静かで不思議な感じがする一方で、
とても優れたシミュレートだと思います。

みなもと太郎さんがコミティアの
こうのさんへの応援メッセージ
の中で打越さんが来たときに
皆実がとっさに左腕の袖を
元に戻すシーンのことを書かれていて
『ああ、成程そうか』と思うわけです。
このシーンの意味がわかると
後で皆実が左側の前髪を気にするシーンも
舞台が夏なのになぜ彼女が長袖なのかも
判るのではないかと思います。
「それ」は皆実にとって罪悪感の
烙印のようなものなのかもしれません。
そうやってひとつ見つけると
色々見つけることが出来ます。
皆実の形見とか見つけてみてください。
こういう描き方が出来るところが
まんがは便利ですね。

後半は皆実の弟とその娘がメインの話。
被爆者との結婚や被爆2世との恋愛や
被爆2世が色々考える話です。
いらぬことを知ってしまったり、
ホテル河野で休憩したり、
またいらぬことを知ってしまったりします。
生まれる前に『確かにこのふたりを選んで
生まれてこようと決めたのだ』というところは
現実には不可能な話ですが、
被爆2世として生まれてくるとことを肯定している
力強い場面です。
こうの史代のストーリーまんがには
『わたしもしあわせになっていいのか』
とか『いらぬことを知ってしまう』とか
割とよく出てくるので注目かもしれません。
ある風景が突然50年前の風景になるような
瞬間で時間が変わるシーンは
絵で描くとやっぱり迫力がありますね。
ちなみに大空建研との乃野屋はこの先も出てくるので要注意です。

『ぴっぴら帳(ノート)』1巻と完結編。
キミ子とインコのぴっぴらさんをはじめ
その周辺の人々を描いた小鳥の居る
日常を描いたまんが。
『夕凪の街 桜の国』の次に読みました。
はじめ『完結編』を『完全版』と勘違いして
買ってしまって1巻を入手するまで
『完結編』が読めなくて大変でした。
1巻と完結編で装丁が随分違うので
探すのに苦労した1冊でもあります。
著者最長の7年分の連載は
なかなか読み応えがあります。

動物ものはどうも苦手だなぁと思っていた
ので初めこの作品は大丈夫かしら、
と心配しながら読み始めたものです。
動物が余り好きでない身としては
キミ子とぴっぴらさんの距離感は
飼い主とペットの関係よりは
家族としての関係に近いのですが、
ぴっぴらさんの取る行動が
割と意味不明なもので
意思の疎通が必ずしも成立しない
という辺りでちょうど良い感じなのです。
ぴっぴらさんの意味不明な行動が
(たぶん似たような実体験をされたでしょう)
そのまま描かれていていいなぁと思います。
やはり絵で表現される方は
鳥の習性をよく観察されているようで
非常に鳥の動きや行動に
臨場感を感じます。

キミ子は高校の時に赤点を4つ取った
などの記述から彼女が高卒で
働いているのだろうというのが判ります。
かつみさんは短大卒、ツナさんは
大検+3留という風にそれぞれ
バラバラな生き方をしてきた人々が
鳥を通じて出会って仲を深めていくのは
面白いですね。
普段読む漫画は同一の共同体の中の
コミュニティの話が多いので
(学園ものとかどうしてもそうなるわな)
新鮮な感じがするのと同時に
時間軸が現代ではないのでは?
という気もします。7~80年代?
ボロアパートに一人暮らし、
(多分)トイレが共同で
風呂なしというのもいいです。

少しだけ深読みをやってみましょう。
弁当・お惣菜こっこ亭というのが
ありますね。
サルのエサを飼いにくる人も居ます。
やはり彼はうるさいエテ公だと
思われているのでしょうか。
コミケによく参加されたのも見受けられます。
90年代~2000年の頭ごろにかけては
創作系の同人作家さんのレベルは
かなり高かったのではないかと思われます。
今ではそういう作家さんはほとんど
プロになってしまった感があります。
現在は停滞した感じがしますね。
単行本の後半はかなりカラー原稿が
多い気がしますが、これが白黒で
収録されているのが残念でなりません。
各回の扉の一枚絵も注目です。きれい。
『ナルカワの日々』読んでみたいなぁ。

『さんさん録』1、2巻。
妻を交通事故で失って以来
日々に何も感じなくなったじじいが
息子の家族と同居するうちに
妻のノート(+霊)と対話をしながら
主夫をやるようになるという話。
こうの史代曰く
『商業誌で発表した中で、
一番自信のない作品』とのこと。
全然知らない人が見ても1巻は
表紙買いしそうな一冊だと思う。
以前新刊コーナで見かけたときに
物凄いオーラが出てました。

まず思うのは妻との会話が成立している点。
ノートを読んで亡き妻のことを
一方的に思い出すんじゃなくて、
ノートを読むとき妻を想うときには、
妻との会話が成立しているのです。
ここは面白いですね。
参さんは主夫をやりますが、
読んでいると妻と一心同体になって
主夫(+婦)をやっているように思えます。
まぁ参さんはどうも真面目で仕事一筋で
今まで余り妻とか子供と語り合うこともない感じ
ですよね。妻が亡くなった後にようやく
妻や息子のことを考えるようになったのだけど
妻が応えてくれるから救いがあってよいです。
まぁ親の世代って皆こんな感じだと思います。
何であんなに勤勉なんだろうと不思議に思います。
仕事を辞めると空虚になるのは
仕事以外に趣味を持たないからですかね。

この本の中で特に気に入っている部分は
『食うために働き 働くために食い 片付けては
ちらかし ちらかしては片付け・・・・・・・・・
生きることとは なんと無為なのだ』
「ならせねばよい」「死ぬわけじゃなし」
というじじいと孫娘の妙に悟った会話です。
人生で大切なのは生きたり望んだりすることに
飽きないことだそうですが、ここでは
まさにそのラインを超えようとしているかのよう。
まぁずっとそんなことを考え続けることは
出来ないのですが。しごうされてしまうので。
ちなみに詩郎が勤めている会社は
おおぞら建研ですね。
『夕凪の街 桜の国』では大空建研でした。
関連性はどうなのでしょうね。
そしてこの本では再びホテル河野が
登場します。チェーン展開している?

仙川イオリという三角関係をもたらすような
女性がこのまんがには登場しますが、
こうの史代まんがの女性には
嫉妬心がないのか、問題になりません。
妻にもヤキモチのひとつでも
焼かせなさい的なことを言われますが、
妻には参さんがほかの女性と関わっても
本当に惚れているのは私だけという
自信が見えます。仙川さんの発言にある
『これからずっと目の届く所に居ながら
あの人がシアワセでないのは
わたし許せないから』というのは
『夕凪の街 桜の国』で見られた
“私もしあわせになっていいのか”
と言うテーマの発展形でしょう。
自分のしあわせではなくて
自分の好きな(?)人がシアワセで
なければ嫌だと言うのは不思議ですね。

『こっこさん』はこうの史代のまんがの中で
唯一双葉社以外の出版社から出ている
まんが。にわとりのこっこさんと
やよいとその周辺の人々の話。
こっこさんがものすごく凶暴なのと
クラスメイトのチクリンがすぐチクるのが
目立ちます。こういう奴ってクラスに
1人は居るものですが、じゃぁ
生徒と教師のどっちの味方やねん、
と問うてみたいですね。
少なくとも教師陣は生徒の味方ではない
というのが経験則です。

こうのさんは縁日のひよこを
うまく育てて雄鶏にしたそうで
小生は数日で死んでしまって
何匹も裏庭に埋めました。
まぁその頃の経験とかあるの
だろうけど『ぴっぴら帳』と比べると
鳥の意味不明な行為が
気持ち少ないような気がします。
発泡スチロールをかじるとかはいいです。
気性の荒いにわとりとインコがちがうのか、
それとも実際に鳥と生活しながら
描いた漫画とそれを思い出して
描く漫画は違うのかもしれません。
全然関係ない話ですが、この漫画を
買ったときに気になったのは、
アンケートはがきが2枚入ってたことです。
はがきは大体1枚は入っているものですが、
巻中に1枚、巻末に1枚入っていて謎でした。

前編通して丁寧に描かれているのが
読んでいると判ります。下から
見上げるような角度から風景と人物を
描く大ゴマがよく見られるなぁと思います。
髪の毛とかも黒ベタじゃなくて細かい
カケアミ(?)みたいになっていて細かい。
あとがきにあるように「巧く描く」ことを
意識されていたのがわかります。
描き下ろしのパラパラまんがもいいですね。
卵から出てきて卵の殻を全部食べてしまう
ところとか好きです。
ただ帯に書かれてる程にはスローライフでも
のほほんでもないと思います。
にわとりの暖かさがわかるような
漫画ではないと思うのだなぁ。
絵は丁寧だし色々な表現にも
挑戦しているけれどそれ以外には特に
普通の日常を描いていて世界も
あまり広がらないという感じがします。

他の漫画に関係するものがないか
見てみると電柱にインコの張り紙
雑貨屋(?)にすずしろ堂
(こうのさんの飼っていたインコの
すずしろに由来すると思われる)
チョコエッグ
(この頃流行ってたような気がする)
後はチクリンが一番他のまんがに
関係していますね。
まだ紹介していない本なので
詳しくは書きませんが。
『こっこさん』を通して一番成長するのは
やよいではなくてチクリンなのではないか
という気がします。
朝になって窓の向こうを見る彼女の表情は
実に印象的です。苗字が変わって
よけいチクリンじゃんってのは笑えます。
名が体を表すようになるわけです。

『街角花だより』と『長い道』
『街角~』はデビュー作。
明石版(旧)と日和(新)版と短編2作収録。
花屋の店長(眼鏡の姉ちゃん)と
アルバイトの姉ちゃんの話です。
『長い道』は定職には就かないわ
女の所を転々とするわ、ギャンブルはするわの
宿六の所に突然親父の手紙とともに来た
自称ぼーっとした女の人との結婚生活
を描いた話。ミステリアスです。
あとこれと前後して『わしズム』19号の
『古い女』というのを読んでいます。
ちょっとぐちゃぐちゃしますがご勘弁。

花屋の話って『さんさん録』で出てきたから
新鮮味に欠けるのは読む順番が悪いから。
デビュー作なので初めにどんなものが
描きたかったのか垣間見られるのでは。
wikipediaによると百合ものが
描きたかったそうではありませんか。
明石版を読むとメガネを外した店長の眼が
高橋葉介のまんがかと思いました、一瞬。
美男子っぽい女性×髪の長い女性って
カップリングだったのでしょうか。
そういう構造は前にもどこかで見てます。
思いつきますか?

『桜の国』の七波と東子なんか当てはまると
思うのですけどどうでしょうか。
七波はメガネはかけてないけど
ボーイッシュな感じが当てはまると思います。
昨今は『マリア様がみてる』あたりで
百合ものへの抵抗なんてなくなったから
思いきり描ける世の中になったのでは。
本編だけど、短すぎてなんだか物足りない。
単行本1冊に同じ話が1冊分あるのが
普通だから短すぎるのだな。あとがきに
『三度も描くか!』とあるから終わりだろう。

『長い道』の道という女性は感情の起伏が
少なく、何かあったとしても寝違えやら
寝オチやギャグでうまくはぐらかすのです。
それ故に彼女の本音はどこにあるのか
判らない読者(小生です)は不安になります。
だから彼女が時々本音めいたものを
見せてくれるとたとえそれが怒っていたときで
あろうと少し安心します。
最後に荘介どのが道に惚れてしまうので
考えなくてもよいのだけれど『彼女は本当に
自分を愛してくれているのか』と考え出すと
どこまで疑っても底が見えない感じがします。

『こっこさん』のチクリンの新しいお父さんは
道の好きだった竹林どのだったのですな。
彼が立派になったのを確認してから
『私もシアワセになってもいいのですよね?』
という風に考えるこのロジックは初めて見た。
自分優先じゃないのは余裕?人格?
こうの史代のまんがのテーマにみられる
『私もシアワセになっていいのか?』は
いろいろな形を変えて出てきますが、
これはかなり初期のもののはずなのに
猛烈に難解ですね。初期のものだからこそ
作家の思想に関わる考え方なのでは?

『古い女』を読むとこうの史代という作家が
単純な反戦作家ではないというのが
なんとなくだけど判るのではないかと思う。
このまんがの中で使われている”古い”って
どういう意味なのか全くわからない。
なんか違うよなぁ普通と、まではわかるけど
何が違うのか具体的な言葉に出来ない。
図書館で借りたものだから何か判子が
押してあるのか?とか思っていたのですが、
チラシの裏に描いてあったのだな。
ちなみに道が古い女だったら恐いなぁ。
『長い道』でおおぞら建研との乃野屋を確認。

『この世界の片隅に』上中巻
広島(江波)生まれの浦野すずが
軍港のある呉の北条家に嫁いで
そこでの人々と降りかかる戦争を巡る話。
まだ完結していないから
話の筋はなんとも言い難いのだけど、
それにしても上巻の色使いの
美しいこと!土間(っていうの炊事場?)
をこんなパステルカラーで塗るなんて。
上中巻共にカバーは横長の1枚絵に
なっているので見応えがあります。
水彩だと思うのだけどますます
巧くなって行くのがなんとも羨ましい・・・。

第2次大戦といえばもう『はだしのゲン』
なわけでこんなイメジが定着しています。
言われてもへっちゃらよぉ。
むしろ言う奴らの頭がどうかしている。
なんかあったらすぐに官憲がこう言うイメジ
しかありません。『ああ ばばあが
クソつぼに落ちたぞ』とか。脱線。
『この世界~』の嬉しい所は戦中の物が
なくなっていくところとかそういう時に
どうしていたのかとかが具体的に
描かれている所ですね。

楠公飯なんていかにも量が増えて
いいじゃぁないですか。だけど
物がないあの時代の人たちが食べて
『これはないわ』っていうのはよほど
不味いってことなわけで。
砂糖も配給制になってそのうち止まる
んですかね。それから考えると戦中よりも
明治の頃とかの方が良い物
食べてるかもしれないなぁとか
思ったりもします。でもこれは
夏目漱石が何食べてたかとの比較なので
一般の明治人との比較にはならないかな。

白木リンという女性が登場します。
『街角花だより』にもリンという女性は
登場しました。そして美少年的女性と
対の関係にあるのではないかというのを
そこで考えました。そこから先のまんがにも
“リン”によく似た女性は出てきます。
『長い道』では遊、『夕凪の街 桜の国』では
利根東子、『さんさん録』では仙川イオリ。
これらの女性はどこか一本の筋で
繋がっている”リン”の系譜とでもいうような
ものではないかと思います。
いよいよ満を持してリン本人の登場です。
こうの史代のまんがに見られるテーマである『いらぬことを知ってしまう』も発展して
『知らんでええことかどうかは知ってしまうまで判らん』が登場します。
先が楽しみです。

お疲れ様でした。こうの史代祭り終わりです。
こうのさんの漫画を読んで『今年一番の作家だ!』
と一人合点して(世事に疎すぎますね)片っ端から
読んでいきました。こうの史代を読んで自分も感想とか
なんか書いてみたいなぁと思っていたのですが、
せっかくなら『こうの史代ファンブック』にでもなるような
小冊子めいたものに出来ないかと考えるに至って
こんな感じになりました。やっぱり読み難いかなぁ。
ある作家さんの漫画を読んで何か感じたら
それに何かの形で応えたくなるものですが、
この程度が限界のようです。
読んでいない方が読んでネタバレになったらいかんなぁとか
思ったんですが感じたことは言いたいし、なかなか難しいですね。

おまけ こうの史代の本棚からの小生のお勧め
水木しげる『ねぼけ人生』と滝田ゆう『寺島町奇譚』です。

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“こうの史代祭り” への 0 件のフィードバック

  1. こうの板から来ました。

    このページは傑作です。
    作品でもあり批評でもある、なんともいえん表現。
    ええもんもってますな。ああっねたましい。

    ねたましいので、またきます。

    そうそう、
    アブリル監修(つまり原作参加)のマンガ『五つの願いごと』は
    ぶっちゃケ名作です。よくある有名人の書いた「いい話」かと思ったら
    いきなり後頭部を火炎放射器であぶられるような(アブリルだけに

  2. 九郎政宗 さま

    書き込みありがとうございます。
    こうのさんのまんがの感想を誰かと共有したいなぁと
    思ってこの「こうの史代祭り」は作ってみました。
    筆不精な小生をここまで持ってこさせる
    こうのさんの漫画のエネルギィはすごいと思います。

    火炎放射器であぶられるまんが読んでみたいです。
    表紙からはとてもそんなヴァイオレンスなまんがには見えません。
    アブリルすげえ。

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